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邉見裕喜の海難事故

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息子を奪われました。二度と戻ってきません。

私の大切な息子である遷見裕喜(平成8年12月2日生)は、平成24年8月10日、宮川湾の沖合約20メートルの海中で溺れ、わずか15歳で亡くなりました。

裕喜は、子どもの頃から泳げず、海水浴に行ったことがありませんでした。

しかし、高校に入学した最初の夏休みに、裕喜が中学時代の親友と一緒に海水浴に行くと言い、その親友のお母さんが車で連れて行ってくれるということでした。

私は、不安になり、その母親に電話をしました。不安を感じながらも、その母親のことを信頼し、裕喜を託しました。

しかし、裕喜が連れて行かれた場所は、海水浴場ではありませんでした。遊泳区域外の漁港近くの岩場でした。岩場は突然足が付かなくなるなど海水浴が苦手な裕喜にはとても危険な場所でした。

一緒に行った同級生は、スイミングスクールに通い、部活は水泳部にいました。事故の前の年から、夏休みに泳ぎに行こうと誘われていましたが、息子は行っても言いかと聞くので、私は貴方は海水浴に行った事もないし、泳げないから、友達だけでは駄目だと言って友達に誰か保護者が行かないと駄目だと息子には伝えました。事故の前日に友達のお母さんが車で連れ行ってくれと息子から聞いたので相手のお母さんに電話をして「明日、三浦海岸の海水浴に連れ行ってもらえると息子から聞いて電話をしました。

息子は今回海で泳ぐのは初めてです、お子さんみたいには泳げませんが大丈夫ですか?」と私は心配で何度も確認しました、相手のお母さんは大丈夫ですよと心良く言ってくれましたが、まだ15歳ですから息子には一人では行動しない様にと言っていますが、宜しくお願いしますと伝え浮き輪は持たせますと伝えたら大丈夫ですよ家に有りますからと言ってもらいました。

下の息子もスイミングスクールが休みなので、当時小学4生で邉見君しか浮き輪は使わないので3個有りました、私は海は危険ですので、相手のお母さんに何かあったら責任が持てないので、連れ行けませんと言われたら息子も諦めると思いましたが行くことになりました。

他人のお子さんを預かる以上保護者には責任が有ります。無事帰宅させる事は、当然だと思います。

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そして、裕喜は、その母親の見ていないところで、溺れて、助けを求めながら亡くなったのです。

当時の新聞には小さな記事が出ていましたが、同級生の母親に引率されたことは書かれていませんでした。

息子を突然奪われた私たち家族は、これまで相手の母親に裁判をしてきましたが、裁判所は、相手の母親は車を出しただけだとして、相手の母親の責任を認めませんでした。

裁判所は、判決の前に、和解を進めましたが、相手の家族は自分の息子は大学に行かせるお金があるのに、少ない金額しか提示しませんでした。私たちは、息子の命が馬鹿にされていると思い、和解は拒否しました。

泳げない子どもを泳げないと知りながら、遊泳区域外の岩場に連れて行っても責任がないのでしようか。

国や自治体のホームページには、「海水浴は海水浴場で行うこと。」が盛んに広報されています。泳げない我が子が、海水浴場ではない漁港近くの岩場に連れて行かれるなんでことは親として夢にも思いませんでした。海水浴をしたことのない裕喜も、連れて行かれた場所がどういうところか、分かっていなかったはずです。

唯一の目撃者である同級生からも裁判への協力を拒否されました。同級生は、相手の母親と同じ弁護士を窓口にすると通知してきました。

親友二人から裏切られた裕喜が可哀想でなりません。

守ってあげられなくてごめんね。

私たち家族は、裕喜のことを忘れて欲しくないので、また、子どもたちの海や川での事故に警鐘を鳴らすため、このホームページを立ち上げることにしました。邉見裕喜

海や川で遊ぶときは、裕喜のことを思い出してください。泳げない子がいたら、よく見てあげてください。

同じような事故が二度と起きないよう、心より願っています。

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